2006年08月07日

反町監督って?

反町康治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

反町 康治(そりまち やすはる 1964年3月8日−)は、埼玉県浦和市出身の元プロサッカー選手で、サッカー指導者・監督解説者を経て、現在は北京五輪サッカー日本代表監督兼サッカー日本代表コーチ。現役時代のポジションはMF。

清水東高校で全国大会優勝を経験。その後一般入試で(一浪しながらも)慶應義塾大学に入学。卒業後、総合職にて全日空に入社。全日空横浜サッカークラブを母体とした横浜フリューゲルスで、全日空の社員契約ながらJリーグの試合に出場したことで「サラリーマンJリーガー」として注目された。

その後1994年に全日空を退社してプロ契約でベルマーレ平塚(この年Jリーグ昇格を果たす)に移籍し、チーム躍進の原動力として活躍した後、1997年で現役を引退。その後はNHK衛星放送やスカイパーフェクTV!などのサッカー解説者を経てスペインでサッカーのコーチング留学を行った。

2001年、J2・アルビレックス新潟監督に就任しチームをJ1昇格圏内に押し上げ、2003年最終戦で悲願のJ1昇格を果たした。 その後2004年、2005年の2シーズンに渡りJ1残留を果たし、2005年11月にアルビレックス新潟監督を勇退。
この間、サポーターにスタジアムに足を運んでもらうように積極的に奔走。サッカーに関心が無いと言われた新潟で1試合の平均入場者数を3万8千人以上の人気クラブまで成長させた。なお、この数字は熱狂的サポーターで知られる浦和レッズを抜き、2003年から3年連続で入場者数リーグ1位を記録している。

新潟をJ1昇格させた時、「新潟におけるおとぎ話の第1章」と表現するなど、赤面しそうなセリフを口に出せるスポーツ選手にしては異色の人物である。

2006年5月29日、北京五輪日本代表監督に決まり、ドイツW杯終了後に正式契約することが川淵三郎キャプテンから正式発表された。なお次期A代表監督が五輪代表監督を兼任希望の場合も、反町の「監督」という立場は変わらずA代表監督は総監督・スーパーバイザーの立場を取る。

ドイツW杯で例外なく誰しもが優勝候補筆頭に上げるブラジルを「守備が弱いので優勝は出来ない。優勝はチェコ」と断言したが、エースコレルの負傷離脱によりグループリーグ敗退で見事に外してしまう。大会期間中はNHKで解説者を務めた。

posted by まか at 22:56| サッカー 日本代表 北京五輪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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